“隣の芝は青く見える”
ということわざがあります。
このことわざを最近は人生や生き方、価値観と置き換えて考えてる。
人生や生き方において
“隣の芝が青く見えない” ことがいいことだと思ってたけど
そもそも隣の芝が青いということに気付いているのか。
で、意味が変わってくるなと思う。
“隣の芝も青いな〜”と
周りに目を向けてそして受け入れる。
そんな人としての余裕や
大きな器がある人になりたいなーと。
比べて羨むのとは少し違います。
“隣の芝が青いことに気付いて、自分の芝に肥料をあげる”みたいな
要は
刺激をもらったり、周りに目と耳を傾け
自分の芝の成長に繋げていく。広げていく。
そうやって価値観って広がっていくんじゃないかなと思ったんです。
歳を重ねて年齢は大きくなってくけど
自分の芝だけしか見ないとなると、
考え方や価値観はずっと大きくなっていかないと思う。
人が歳を重ね、
年齢が大きくなってくことを大人だと言うのなら
価値観も一緒に大きく広げていき
器の大きな余裕のある大人になりたいね。
自分の物差しだけで、
狭い考え方や価値観で、
自分の意見ばかりぶつけるのはやっぱり子供。
それによって傷付く人もいるから
わたしはそんな大人になりたいね。
(もう大人けど笑)